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「神は愛です」
2019-06-30
ニューカーク・マット

なぜ神学校のブログの名前が「神は愛です」なのでしょうか?

世界の始めから、人はいつも愛を求めてきました。子供たちがいつも親の注意を引いたり、女性が美容やファッションにお金をかけたり、男性が他の人たちの前で自分の技術や能力を自慢しようとするのもこのためです。私たちはみな、誰かに気づいてもらい、価値を認められたいと思っているのです。人間が最も深く願っていることは、愛されることなのです。

しかし、ここで問題となるのは、人は最終的には満たしてくれない物からいつも愛を得ようとしてしまうことです。人はいつも他の人からの愛に意味や満足感を見出そうとしますが、他の人からの愛は決して深い願望を満たしてはくれません。それは神様が、完全な愛を求める存在として人をお造りになったからです。人は決して失望させられることのない愛で心が満たされない限りは満足しない存在として神様に造られました。しかし、この地球上で完璧な人は一人もいないので、人生の中で出会う人にはいつか必ずがっかりさせられるのです。つまり、私たちを本当に満たしてくださる唯一の愛は、神ご自身から来るということです。

第一ヨハネ4章で、使徒ヨハネはこのことについて語っています。ここで、ヨハネは「神様が私たちを最初に愛してくださったので、互いに愛し合いましょう」と教会に励ましを与えています。しかし、この聖書箇所におけるヨハネの愛の定義に注意してください。

7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

ここでヨハネは「神は愛です」と言っています。つまり、愛とは何かを理解するための基準は、神様から与えられるということです。誰かを愛するとはどういうことかを、どのように神様は示してくださったでしょうか?神様は、私たちの罪のための宥めのささげ物として死なせるために、ひとり子をこの世に送ってくださいました。神様の民に赦しと救いをもたらすイエス様の犠牲的な死は、神様の愛を最もはっきりと表わしています。

今日ほとんどの人は、愛は主に感情だと考えています。一緒に楽しく時間を過ごせる魅力的な人と出会った時、その人によって自分が感じる感情によって、だんだんその人を「愛している」と思うかもしれません。しかし、その人に傷つけられたり、失望させられた時、その人を本当に「愛している」のだろうかと疑問に思うことがよくあります。多くの夫婦が離婚してしまうのはこのためです。人は、自分が誰かを愛する能力は、自分が相手に対して持っている感情で決まると思いがちです。人間関係の中で最初に持っていた快い感情が薄れ始めると、私たちはその人をもう「愛して」いないと結論づけてしまうのです。

しかし、聖書によると、愛は感情ではなく忠実さの観点で定義されています。人間は神様に罪を犯し、神様を拒否しましたが、私たちが神様との永遠の命を楽しめるようにと死を経験するほどまでに、神様は私たちと関係を持つことに忠実になってくださいました。

これが聖書的な愛の定義です。誰かを愛するということは、その人との関係に忠実になり、その関係に益をもたらす行動によりその忠実さを示すということです。神様は、十字架で私たちのすべての罪の代価を支払うためにイエス様を送るという完璧な方法で、この愛を示してくださいました。このことにより、私たちは完全に許され、神様と一緒に永遠に生きることができるようになったのです。イエス様ご自身が言われたように、「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)

神様がキリストの十字架によって示してくださった愛は、私たちの心の一番深い願いを本当に満たすことのできる唯一の愛です。他の人々の完全ではない愛で満たされることを求めるのではなく、私たちは神様の完全な愛に満たされる必要があります。他の人々に愛されるために、私たちの外見や技術で良い印象を与えようと頑張るのではなく、イエス様が成してくださった生と死と復活の良い知らせの中に憩うことによって、本当の愛を体験することができます。

これが、この神学校のブログの名前を「神は愛です」と決めた理由です。このフレーズは、次のようなキリスト教のメッセージの本質を捉えています:神様はイエス様の十字架により私たちを愛してくださいました。そして教会は、イエス様の福音を言葉と行いによって宣べ伝えることにより、この同じ愛を世界に示すように召されています。決して満たされることのないものに愛を求めている人々が溢れているこの世界において、神学校としての私たちの使命は、永遠の愛で私たちを愛してくださる神様を知るように人々を備えることです。

このブログにおいて、御言葉や神学、教会史、ミニストリーに関連した記事を読むことにより、皆さんが新しい方法で神様の愛を体験してもらえたらと願っています。神学校の教員たちは神様の愛によってすっかりと変えられました。このブログの記事を満たしてくださるイエス様の福音により、皆さんも同じように変えられることをお祈りしています。